自転車には教科書が少ない
業界にはもともと丁稚(でっち)制度のような仕組みがありました。
- 工具は自由に使っていいので直接教えない。
- 作業をぬてそのまま作業自体を盗め、まねろ。
- これこそ(私の作業)が活きた教科書だ
昭和時代です。
これでは文字になっていなくても「教科書」にはなりません。
教科書とは「誰がやっても同じことができる」ためのもの。
だれもこの仕組みを疑いませんでした。
後になって教わった先輩の作業が間違っていたことも多数。
これだと参考書にもなりません。
なにが正しいのか。間違っているのはどこなのか。
教科書と呼べる出版物はありますが現代はさらに混迷を極めています。
一般の方が「いかにも教科書」として出版(制作)できるからです。
YouTubeなどの公開動画をみると怖くなります。
家電と同じような感覚で取扱説明書的にとらえられている。
家電とは大きく違うことは自転車は一歩間違うと安全が損なわれますからです。
たまたま成功した作業を公開していることが多くて怖さすら感じます。
同じことおやってもうまくいかないケースがあります。
教科書と参考書の違いを自転車視点からもう少し整理する必要があります。
パート2に続きます